五本の弦がつなぐ、過去と未来
その楽器のことを知っているという者は、日本人でもそう多くはない。細長い木の胴に、五本の弦。華やかな装飾はなく見た目は驚くほど質素。しかし、そこから鳴り響く音色は驚くほど繊細で魅力的だ。

2026年6月、ニューヨークのJapan Society。その夜、ステージに置かれたトンコリから最初の一音が響くと、客席の空気がゆっくりと変わっていった。観客が耳を傾けたのは、「珍しい民族楽器だから」ではない。どこか遠い土地の音でありながら、何か神秘的で、不思議なほど自然に心へ入り込んでくる。その理由を知りたい──その好奇心が、やがてステージ中央で演奏する一人の音楽家へと向かっていく。その名はOKI KANO(沖加納)。
世界のワールドミュージックシーンでは、樺太アイヌの伝統弦楽器トンコリを現代に蘇らせた音楽家として知られている。レゲエやダブ、ブルースなどの要素を取り入れながらトンコリの可能性を広げ、「WOMAD」をはじめ世界各地のフェスティバルで演奏を続けてきた。
だが、今回の取材で私の心に残ったのは、彼の音楽性や海外での評価だけではなく、もっと素朴な疑問だった。「なぜ、この音楽家は、三十年以上にわたりトンコリを弾き続けているのだろうか」──その答えは、「伝統を守る」という言葉だけでは説明できなかった。
一本の楽器が、人へ、土地へ、そして歴史へ導く
1987年、OKIさんはニューヨークに渡り、映画の特殊効果の仕事に携わっていた。その後、訪れた北海道旭川でトンコリと出会う。当時、演奏できる者はごくわずかだったが、残された音源や資料を頼りに独学で奏法を学び、やがて世界のステージで観客の心を震わせるまでになった。しかし、彼が惹かれたのは「失われつつある文化を守る」と言う使命感ではなかった。
「元々ブルースやレゲエ、ダブが大好きでね。20歳を過ぎた頃、自分がアイヌだと知って心の整理が付かずにいた頃だった。でも、この楽器について知りたいと思うようになった」。少し間を置いて、OKIさんは続ける。
「楽器のことを知ろうとすれば人に会うし、人を知ろうとすると、その土地のことを学んでいく。一つひとつの旋律が単なるメロディーとしてじゃなく、人々の記憶や演奏家の足跡をたどる旅になっていったんだよね」。
私は、この言葉が今回の取材を象徴しているように思えた。一本の楽器を知ろうとした先に、人がいた。土地があった。歴史があった。そして、そのすべてが一本の音へとつながっていた。だからOKIさんの音楽は、単なる民族音楽では終わらない。トンコリを通して、失われかけた記憶にもう一度触れようとする営みなのだと。
二つの声、ひとつの未来
「伝統を守る」という言葉は、美しい。だが、その響きにはどこか静止してしまった印象もある。大切に保管し、変えずに残す──それも一つの継承の形。しかし、OKIさんの考え方は少し違うようだ。トンコリがダブと出会い、レゲエと重なり、古い音をそのまま再現するのではなく、”新しい時代の音楽”として世界へと鳴り響かせた。それを「革新」と呼ぶ人もいるが、本人はそう考えない。
「今、俺がやってることを革新とは思わない。昔だって、新しいことを取り入れるアイヌはいたはずだから。例えば、それまで動物の腱を縒って使っていた弦を、より良い音を求めて別の素材へ替えたやつもいるでしょ。文化って、そういうものなんじゃないかな」。
新しいものを取り入れることは、文化を壊すことではない。文化の流れの中で、ごく自然に起きてきた変化なのだとOKIさんは言う。「守る」と「生かす」──これらは同じではないのだ。
文化は、ガラスケースの中に飾られているだけでは生き続けられない。誰かが演奏し、誰かが耳を傾け、誰かが新しい意味を見つける。その繰り返しの中でしか、文化は次の世代は渡っていかない。トンコリが世界各地で鳴り響く理由も、そこにあるのだろう。
守る人と、変える人
OKIさんの音楽を語る上で、もう一人欠かすことのできない存在がいる。Rekpoさんだ。アイヌの伝統的な輪唱「ウポポ」の歌い手であり、女性ヴォーカルグループ「マレウレウ(MAREWREW)」のリーダー、そしてOKIさんの妻でもある。アイヌ語で「Rek=喉」と、愛称としての「po=ちゃん」を合わせた意味を持つのだという。

PHOTO by RICHARD TERMINE
「私が歌うのは、全部古くから伝わる伝統的な歌で、何も変えません。自分を入れたりせず、そのまま歌うんです」。
旭川に伝わる歌には、裏声へ切り替わる独特の節回しや、地域ごとに異なる歌い方が残される。「アイヌの歌には本当にたくさんの美しい歌があって、オリジナルを作る余裕がないくらい」とRekpoさんは笑顔で話す。
その言葉を聞き、OKIさんの音楽を思い浮かべてみる。一人は伝統を歌い継ぎ、そして一人は現代の音楽を切り拓く。正反対のようにも見える二人だが、不思議と目指している場所は同じであった──文化を未来へ渡すこと。だから、この二人は、「守る人」と「変える人」ではなく。それぞれ異なる方法で、同じ文化を生かしている音楽家なのだ。
文化は、待っていても残らない
OKIさんは自らレーベル「Chikar Studio」を立ち上げ、音楽だけではなく、映画や映像作品にも取り組んでいる。その理由を尋ねると、話題は自然と若い世代のアイヌの話へと移った。「アイヌの若い人たちには、もっと自分たちの声を上げて欲しいよね。それは演奏したり、踊ったり、言語を学んだりするだけではなくてさ」。
そして、少し言葉を選びながら続けた。
「今の世代のアイヌに必要なのは。セルフプロデュースする力なんだよね。何かを作り、それを世界へ届け、自分自身で道を切り拓いていく力」。助成金やその制度を否定している訳ではない。ただ、それだけに頼っていては文化は広がらない。誰かに守ってもらうものではなく、自分たちの手で育てていくもの。OKIさんの言葉には、音楽家としてだけではなく、一人の表現者としての覚悟がにじむ。
三代目は、継ぐのではなく、自分のものにする
その姿を最も近くで見てきたのが、息子のManaw(マナウ)Kanoさんだ。幼い頃からトンコリの音に囲まれて育ち、現在はレゲエバンド「ASOUND」のドラマーとして活動している。

PHOTO by RICHARD TERMINE
しかし、Rekpoさんは、そんな息子について印象的な言葉を口にした。「彼にとってアイヌは、これからなんです」。
親から子へ。文化は一本の線のように受け継がれるものだと思っていた。だが実際には、一度それぞれの世界へ旅立ち、自分自身の表現を見つけたあと、もう一度ルーツへ戻る。その時初めて、文化は「受け継ぐもの」ではなく、「自分のもの」になるのかもしれない。
OKIさん自身も、そのことを誰より理解しているようだった。「アーティスは、人真似じゃない、自分だけの表現を見つけることがミッションなんだよね。それは、俺だけじゃなくて、全てのコンテンポラリーアーティストに通じるところ。バスキアにしてもキースヘリングにしても同じ。俺も人がやったことがないことをやりたかったし、息子にも自分自身の道を歩いて欲しいと思っているよ」。
父がトンコリを復活させた。その先で、息子は何を鳴らしていくのだろうか。その答えは、きっと誰にも分からない。だからこそ、未来は面白いのだろう。
アイヌ文化ではなく、人間の話
取材を終えて、私の中に残ったのは一つの問いだった。これは、本当にアイヌ文化の記事なのだろうか。もちろん出発点はアイヌ文化だった。しかし、最後に残ったのは、もっと普遍的なテーマだった。文化は、どうすれば未来へ残るのか。言語も、祭りも、職人の技も、そして家業も。世界中で同じ問いが繰り返されている。その答えは、「守る」という言葉だけでは足りない。次の世代が、自ら手を伸ばしたくなる理由が必要なのだ。
講演の後、2人の地元の高校生がOKIさんに声をかけた。学校で「消滅危機言語」について学び、その一つとしてアイヌ語を調べているのだという。OKIさんは熱心に話を聞き、静かに答えた──「僕より詳しい人を紹介するよ」。自分が答えを語るのではなく、その先へ橋を架ける。ほんの数分の会話だったが、その姿勢こそが、この日の取材で最も印象に残った。文化は、一人では受け継げない。誰かが誰かへ手渡していく。その連続の中で、生き続けていくものなのだ。
博物館ではなく、未来へ
代表曲「SAKHALIN ROCK」の心地よいリズムが会場に一体感を与える。客席は揺れ、演奏が終わると大きな拍手が響いた。その夜、会場をあとにした誰かは、「トンコリ」と検索したかもしれない。他の誰かは「アイヌ」について調べたかもしれない。あるいは、自分の国にも受け継がれてきた文化があることを思い出した人たちもいただろう。
文化とは、博物館に保存されることで残るものではない。誰かの好奇心から始まり、誰かの手で受け継がれ、そして新しい時代の中で、新しい意味を見つけながら生き続けるものだ。OKIさんが鳴らし続けている五本の弦は、過去を懐かしむための音ではない。未来へと向かう音だ。だからトンコリは、何百年の歴史を持ちながら、今もなお新しい。
演奏は終わったが、あの夜に鳴った音は消えない。それは誰かの心の中で、新しい物語の始まりとして鳴り続けていく。
